海外で英語を話すことで得た新たな視点

日記

英語で本を読もうとすると理解力が大幅に下がる。

逆に、ある一定の期間英語ばかりでコンテンツを消費し続けた後、日本語で本を読むと素晴らしく理解力が上がった気がするし、おそらく日本にいた時より読書がスムーズで、本の内容、読者の伝えたいことが理解できるようになったとおもう。

母国語以外の言語で話す、聞く、読むなどした場合、特にその言語の習熟度が十分でない場合、誤解を恐れずにいえば少し勉強が得意ではなかったり、障害がある方の気持ちを少し経験できるような気がする。

もともと国語は得意で、話すのは得意ではないが、十分に仕事でもプライベートでもコミュニケーションはとれる方だ。

だからこそ、仕事で後輩が資料の内容を理解できない、または理解に時間がかかる気持ちが理解できなかったし、そもそもそのような概念がなかった。(発達障害を持っている人と一緒に働いていた。)

仕事はメールや資料の内容を理解する、そこまでは暗黙の了解で簡単とされている。その上で問題解決や企画をしていくことが仕事で求められる。

しかしそれが困難に感じる人も絶対にいる。

英語でパートナーと喧嘩したり、カスタマーサービスの仕事で急いでいる状況で同僚に今の状況を英語で的確に説明しないといけないプレッシャー下にある時、自分の言いたいことを即座に言葉にできないもどかしさ。

簡単な本なのに英語になると1行で眠くなってしまう、読み終えることも難しく、簡単に理解をすることなども到底できない。

自分が外国で働くようになり、英語が全てのコミュニケーションとなった今、社内でのやりとり、お客さんとのやりとり、面接や電話対応、すべてのハードルがあがり自分の無力さを痛感する。

辛いことではあるが、全く同じ経験ができているとも全く思わないが、今まで知りえなかった他者の気持ちやもどかしさを体験できたことは英語を話すことを通じて得た新たな視点。

それと同時に日本語のネイティブスピーカーであり、行間を読むというハイレベルな言語を難なく理解できる能力を苦もなく習得できたことに感謝もおぼえる。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました